大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成3年(オ)424号 判決 1994年10月13日

上告人

石井秀雄

石井須美子

右両名訴訟代理人弁護士

武田安紀彦

被上告人

石井政明

石井智子

右両名訴訟代理人弁護士

佐野孝次

被上告人

亡大山半四郎相続財産

右代表者相続財産管理人

西山司朗

主文

一  原判決中、被上告人石井政明、同石井智子の請求に関する部分を破棄し、右部分につき第一審判決を取り消す。

二  被上告人石井政明、同石井智子の本件訴えを却下する。

三  上告人らのその余の上告を棄却する。

四  第一、二項に関する訴訟の総費用は、被上告人石井政明、同石井智子の負担とし、第三項に関する上告費用は、上告人らの負担とする。

理由

一  上告代理人武田安紀彦の上告理由第一点について

1  本件記録によれば、被上告人石井政明、同石井智子(以下「被上告人政明ら」という。)の本件訴えは、亡大山半四郎の昭和六〇年八月一四日付けの自筆証書遣言(以下「本件遺言」という。)が意思能力を欠いた状態で作成されたものであるとして、本件遺言に受遺者と記載された上告人らに対し、その無効確認を求めるものであるが、原審の確定した事実関係によると、被上告人政明は半四郎のいとこ(四親等の血族)、被上告人智子は被上告人政明の妻であり、半四郎には相続人のあることが明らかでない、というのである。

2  原審は、右事実関係の下において、被上告人政明らは民法九五八条の三第一項所定の特別縁故者に当たり、本件遺言の無効確認を求める原告適格があると判断した。

3  しかし、原審の右判断は是認することができない。けだし、本件遺言が無効である場合に、被上告人政明らが民法九五八条の三第一項所定の特別縁故者として相続財産の分与を受ける可能性があるとしても、右の特別縁故者として相続財産の分与を受ける権利は、家庭裁判所における審判によって形成される権利にすぎず、被上告人政明らは、右の審判前に相続財産に対し私法上の権利を有するものではなく、本件遺言の無効確認を求める法律上の利益を有するとはいえないからである。そうすると、被上告人政明らの本件訴えは不適法であるから、これを適法として本案の判断をし、その請求を認容すべきものとした原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。右の違法をいう論旨は理由があるから、原判決中の被上告人政明らの請求に関する部分を破棄し、右訴えにつき本案の判決をした第一審判決を取り消した上、右訴えを却下することとする。

二  その余の上告理由について

本件遺言は、老人性痴呆症で意思能力の欠如している半四郎に上告人石井秀雄が下書きを見せて書き写させて作成したもので無効であるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして、正当として是認することができ、その過程にも所論審理不尽等の違法はない。論旨は採用することができない。

三  よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九五条、九三条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官大堀誠一 裁判官三好達 裁判官大白勝 裁判官高橋久子)

上告代理人武田安紀彦の上告理由

第一点 特別縁故者について

一 原判決は、被上告人石井政明、同石井智子(以下、単に政明夫婦)は、民法九五八条の三の一項により、半四郎の特別縁故者に該当し、本件遺言無効確認の原告適格および法律上の利益を有すると判断した(原判決九丁表裏)。

しかしながら、原判決の右判断は、次に述べるとおり、理由不備および法令適用の誤りがあり、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄されるべきである。

二 原判決は、政明夫婦が、半四郎に対し、「長年身の回りの世話をしていたこと」は当事者間で争いがない事実と摘示している(原判決七丁裏)。そして、そのことが、政明夫婦が、民法九五八条の三の一項により、半四郎の特別縁故者に該当すると判断した重要な要素となっていることは明らかである。

しかしながら、上告人らは、政明夫婦が半四郎のために、「長年身の回りの世話をしていたこと」を認めたことはない。

なお、原判決は、上告人らの原審における答弁としてそれを認めたとしているが、事実に反する。本件一件記録上からも、上告人らがこれを認める主張をした事実はないものである。むしろ、後記のとおり、これを争っている。

従って、原判決は、争いのある事実を、争いのない事実と摘示した違法があり、引いては理由不備の違法があると言うべきである。

三 半四郎の身の回りの世話は上告人らがしてきたものである(上告人須美子の証言および乙第四号証)。半四郎が柏寿園に入園後の同人の死亡する約一〇ヶ月前である昭和六〇年三月一五日から同月二五日までの間、半四郎は、急性虫垂炎で土庄町国民健康保険、土庄中央病院に入院し、手術を受けている(甲第九号証ノ四)。この入院期間中の付添は、一日二四時間を通じ全て上告人須美子がしている。

四 半四郎が死亡した際の葬式は、上告人秀雄が喪主となって実施している。半四郎死亡後、現在に至るまで、半四郎を含む大山家の祖先の祭祀等は上告人夫婦がこれを承継して行っている。又、半四郎の実姉フサノの法事も上告人夫婦が行っている。

五 以上の諸事情を総合すると、上告人らが半四郎の特別縁故者であって、被上告人らがこれに該当する証拠はないというべきである。

然るに、原判決が政明夫婦を特別縁故者と認定し、原告適格および法律上の利益を有すると判断したのは違法であり、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄されるべきである。

第二点 遺言能力について

一 半四郎の意思能力

原判決は、原判決別紙一の半四郎の遺言書は、同人の自筆であることおよび形式上は自筆証書遺言の方式を備えていることを前提にした上で、「半四郎は本件遺言書作成当時、一般通常人として、事理を弁別しこれに従って行為する能力を欠いており、控訴人秀雄が見せた遺言書の下書のとおり無意識的に書き写して作成したものであり、本件遺言は半四郎の意思に基づくものとはいえないから、無効である。」と判断し、半四郎の遺言作成時の意思能力を否定した(原判決一四丁裏)。

しかしながら、原判決の右判断は、次に述べるとおり、明白なる事実誤認、法令解釈の誤りおよび審理不尽の違法があり、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄されるべきである。

二 鑑定書について

(一) ところで、原判決が右の如く、半四郎には事理を弁別し、これに従って行動する意思能力が欠けていたと判断するに至ったのは鑑定人早原敏之(以下、鑑定人)作成の鑑定書を重視したものであることは明白である。

しかしながら、右鑑定書には、次に述べるとおり、種々の疑問点があり、これを全面的に信用することはできないと思料する。

1 半四郎は、鑑定時において、既に死亡しているため、鑑定人は、本件一件記録によってのみ鑑定している。そして、鑑定人は、鑑定に際して、「精神医学的事項」として、本件記録から半四郎の生活歴、生活態度、問題行動などにつき、証言から推測して事実認定をしている。この事実認定には、鑑定人も断っているように、「利害関係などによって大きく食い違うので、第三者の観察、客観的事実およびこれらとの関連で理解可能なものを信頼」したとしている(原判決七頁)。

しかしながら、鑑定人が認定した半四郎の異常行動、問題行動等の精神鑑定上の重要な事実は、甲第五号証の「ケース記録票」に記載された事実および内海病院の記録等の客観的記載を除く外は、ほとんど全て被上告人石井智子の証言を採用している。これに反し、上告人らの証言は全く採用していない。鑑定に際しての事実認定につき、一方当事者の証言のみを採用するのは問題があると言うべきである。そのため、半四郎の実姉であるフサノが実妹として認定される等、明白な事実誤認も存在している。

ところで、遺言に関しては、意思能力は、遺言作成時に存すれば必要かつ十分である。従って、本件においては、本件遺言書が作成された昭和六〇年八月一四日時点での半四郎の言動、生活態度、問題行動などが検討され、吟味されなければならない筈である。

しかし、鑑定書にはそれらについては全く触れていない。遺言作成時の前後の半四郎の言動および状況については、上告人らが原審において詳細に証言している。特に上告人須美子の証言は、具体的かつ明確に述べているものであって、あえて嘘の証言をしたとは到底思えない。鑑定人は、上告人らの右証言を採用しなかった理由は、鑑定結果(鑑定主文)と矛盾するからだと証言している。鑑定人のこれらの態度は大いに問題があると思料する。事実認定は裁判官の専権である。鑑定人がその必要上事実認定をする場合があるとしても、一方当事者の証言のみを採用し、何の理由も付さず、他方当事者の矛盾する証言を不採用とするのは、鑑定人としては行き過ぎである。しかも、その鑑定人が採用した事実認定が鑑定主文に大きく影響する場合はなお更である。

従って、本件鑑定は、鑑定人の事実認定に疑問があり、これから導き出された結論にも疑問があると言うべきである。

2 鑑定人も指摘しているとおり(鑑定書一七頁)、痴呆患者と書字能力については、精神医学の分野においても現在まで十分な検討がなされておらず、未だ公表された文献も無いといっても過言ではない状況である。そのような状況の中での本件鑑定であるため、鑑定人は、自分が現在診察診療している痴呆患者七名に書字検査を実施して、それを重要な根拠として本件鑑定結果を導き出している。しかし、注意しなければならないのは実施例はわずかに七例であることである。しかも、半四郎と同じ脳血管性痴呆(今田医師の証言)の症例は症例(2)と(7)のわずか二例に過ぎないことである。しかも、その症例は、痴呆の程度は比較的軽いものである。症例の数如何又は鑑定人の鑑定方法によっては、痴呆の程度と書字能力との関係は、大いに変わり得ることである。換言すれば、痴呆の程度と書字能力との機序は、今後の精神医療の発展に関わっているということである。現時点で早急な結論を出すことは危険であると言わなければならない。又、乙第一四号証の「老年期痴呆」によれば、アルツハイマー型老年痴呆と脳血管性痴呆との一般的鑑別について書かれているが、両者には著しい相違があるといっても過言ではない。従って、鑑定人の如く、アルツハイマー型痴呆患者の症例を当然の如くそのまま脳血管性痴呆患者の症例に当てはめてよいものか疑問なしとしない。

なお、痴呆の程度の分類方法については未だ確定的なものはなく、判定する人の主観によるところが多いのが現状である(乙第一四号証、四一頁以下)。

3 鑑定人は、半四郎に意思能力がなかった理由として、遺言書の中に、「小供」と「子供」とか、「呉レ」と「くれ」とか、同一文章内に違った字で書かれている部分が存することを指摘している。果たしてそのように言えるのであろうか。鑑定人の推定する如く、半四郎は誰かが書いた下書を見ながら、誘導されながら書いたものであるなら、果たして、二通りの字を書き分けられるのであろうか。下書にない字を自分の意思で書けるのであろうか。目的を持って書かせたであろう誘導した人間がそれを許すのであろうか。鑑定人とは反対に、半四郎は自分の意思で書いたのではないかとの推測も充分成立するものである。

又、鑑定人は、文末の「。」を大きく書くこと、そしてそれが末尾の文字に重なっていることを重視して、意思能力を欠く特徴としている由である。しかし、それはたまたま同様の実例が実施例にあったにすぎないものであって、これを重度の痴呆の特徴とするのは早計であるというべきである。

三 審理不尽

(一) 原判決は、前記の如く、意思能力を欠く重度の痴呆患者であっても、手本を見せて誰かが誘導すれば書字能力があるとする鑑定結果を採用して、半四郎の本件遺言書は無効であると診断した。

(二) 上告人は、鑑定結果が提出され、鑑定人の証人調べを終えた時点で、甲第五号証のケース記録票を実際に記載した麓靖子を証人申請した。同人を申請した理由は次のとおりである。同人の作成にかかる甲第五号証の「ケース記録票」の半四郎の言動に関する昭和六〇年一月一四日の記載事項に、「毎日たいくつそうなので何かと思いペンと紙をもたした所、上手に書くので落書帳とエンピツを買って与えました」との記載がある。半四郎に意思能力が無いとした鑑定人の根拠は、半四郎は、重度の痴呆であり、手本を示して誘導すれば書字能力があるが、自分の意思で書字する能力はないとするものである。

ところが、右日時の記載事項は、半四郎が自分の意思で何かを書いた事実およびそれが上手に書かれていた事実を明白に物語っているのである。従って、書かれた内容如何によっては鑑定人の推定とは明白に矛盾することになり、半四郎の意思能力の存在を推測する有力な根拠となる筈である。しかも、右日時は、半四郎が本件遺言書を作成した日のわずか七ヶ月前であるからなお更である。

しかるに、原判決は、上告人の右証人申請を却下し、鑑定人の意見をそのまま採用したのは審理不尽であり破棄されるべきであると思料する。

なお、原判決は、上告人らは、半四郎の財産を自己の物にしたいため、上告人秀雄が半四郎を誘導して本件遺言書を作成させた旨の判断をしている。しかし、それについては何らの証拠も存在しない。又、財産の確保だけなら、半四郎には法定相続人は皆無であるから、上告人らは、半四郎と養子縁組を結べばその目的は容易に実現可能である。それをわざわざ重度の痴呆症になっているという半四郎に本件遺言書に記載の如く、多くの字を書かせる必要もない筈である。単に、半四郎に氏名を自書させれば必要かつ十分である(乙第一号証ノ二)。現に、乙第二号証の如く、半四郎との養子縁組の話もかつてあったのであり、上告人らが悪意なら、当然、方法として簡易なその方法を取っていたことは容易に推測できるのである。そして、その程度の知識は、上告人らは当然知っていたものである。上告人らが本件上告に及んだ理由もそこに存するものである。

なお、鑑定人も述べているとおり、脳血管性痴呆では障害される機能間に格差があり、症状は動揺し、不安定である。仮に、痴呆の程度がいかに高度であっても、残された機能が存し、安心した情動が安定すればもとの水準にまで改善することも存するのである。従って、半四郎が本件遺言作成時、それが無かったと断定はできるのであろうか。

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